金子ふみ子

この名前は「朴烈大逆事件」として昭和史発掘という松本清張の本で読んで検察の前でふしだらな格好をした写真の部分だけはっきりと覚えている。
このたび「父」という金子ふみ子の自伝を読む機会があった。そこでは彼女はひどい虐待を受けている。これは今の時代に通じているのではと思った。
今、子供達が親から虐待を受け殺されもしている。幸か不幸かふみ子のような思想が生まれる時代環境ではないところだけが違うような気がする。
いつの時代も切り捨てられ、虐げられるのは弱者である。

話は飛ぶが、ふみ子は別の自伝で親友が死について
「人が死を恐れるのは、死そのものを恐れるのではなく、死に移る瞬間の苦痛を恐れるためだ。死は睡眠と同じ意識の喪失なのだから、眠ることを恐れる必要がないように死を恐れる必要もない」といっているのに対して
「私はそうは思いませんね。私は私の体験からこう断言する事が出来るんです。人が死を怖れるのは、自分が永遠にこの地上から去ると云う事が悲しいんです。
言葉をかえて云えば、人は地上のあらゆる現象を平素はなんとも意識して居ないかも知れないが、実は自分そのものの内容なので、その内容を失ってしまうことが悲しいんです。睡眠は決してその内容を失っては居ません。睡眠はただ忘れて居るだけのことです」といっている。
このやり取りは難しい。私にとっては
「死に移る瞬間の苦痛」を経て「自分が永遠にこの地上から去ること」が恐ろしい。
そしてこの23歳と若くして死んだ「アナーキスト」の生涯についてもっと知りたくなった。